日記
山本卓司(やまもと・たくじ)の今 シンガー志望者向け。
2013年、X-Factor Okiawaで鮮烈なインパクトを残した山本卓司。
当時はGot Talentがまだ上陸しておらず、日本で唯一、開催された大型のグローバルエンターテインメントのオーディションであった。
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ここで強烈なインパクトを残す山本卓司。「Desperado」のTakuji Yamamotoの名前を残すことになる。
弊社True Star Grandがまだ形成されきっておらず、いまの共同経営者である僕が、
この頃は審査員としてたまに顔を出す程度のボランティア人員であった。それでも
英語で歌う彼の歌唱能力は秀でており、親が英語の先生のようでもあり、なかなか大阪から
すごい自信を持ったシンガーが出てきたな…という印象。
僕が初めて知ったのは、2009年頃まだ彼が高校生のころである。
正直、このころの歌唱力は未完成であり、あどけない感じで緊張もしていたりと
全然たいしたレベルではなかったかもしれない。
その頃の動画が残っているので、鑑賞してもらうとわかる。
これはたしか僕が撮影したものである。(笑)
かれらと一緒にザンビア大使をお呼びしたチャリティライブを青山でやっていたころの映像である。
今となれば秘蔵である。
何よりも、彼のスタイルはまだ完成しておらず、サザンオールスターズの白い恋人達のカバーを歌っている。
ここから年月が過ぎて、彼はしこたま練習するわけである。
課題曲をこなして、毎回毎回プロデューサーからダメ出しをくらい、それでも耐えて通りぬけて
あのDesperadoが完成するわけである。
尚、この手法は今でも弊社True Star Grandで踏襲されている。
まぁ、歌唱力がすべてではないが、土台としてあった方が良いのは当たり前である。
それだけで、観客を一瞬で引き付けてしまう。
ある程度完成した上記のDesperadoの手前味噌だが(笑)ファーストテークがこれである。
彼は2013年にX-Factorで痕跡を残し、その後その番組内で、他の3人のメンバーとSky's The Limitを結成。そこから優勝し、2016年にデビューをはたす。
足掛け2009年から数えるとデビューまで7年である。
で、行くか~!と思いきや2018年に解散。
あれだけの注目を浴びていても、また時間・エネルギーをかけてデビューしていても… 事はそうは簡単にいかない世界なわけである。
時を遡ってドラえもんみたいなタイムマシーンに乗ってそこに行けないのが歯がゆいが、僕らがみていたのは2014年のX-Factor Okinawaの4人が決勝で優勝したところまでである。ここで音楽の業界というのは(というかそれだけに限らないが)本当に縁や展開の流れというのがあって、中村幸秀(彼がプロデューサー)
は基本ソロで育てているし、
山本卓司をソロとしてそこに送り込んでいる。しかしながら、番組内の色々な調整が働き、彼は4人のグループになって優勝をする。当然、その裏にあるのは、
イギリスのワン・ダイレクションと同じシナリオであり、グループでそのままメジャーデビューに持っていこうという作戦なわけである。
ワン・ダイレクションは時の人たちとなり、猛烈な世界デビュー、インパクトを広げていった。
しかし、日本でも同じような型にはめて必ずしもそれが100パーセント成功するとは限らない。
山本卓司はその流れにのって、当時こちらのプロデューサー側から離脱することになった。おそらく僕が彼の立場でも
そうしたかもしれない。しかし、やはりなぜゆえに彼という存在がそこで生まれているのか?これは誰にも絶対的な答えは無いし、
自分たちも「はい、僕らがやりました」とは言わない。が、プロデューサーの力が大きかった一つの現象かなとは
感じる。なぜならその後売れてないから。
チーム力が結局はものを言うかなと。
事務所の意義が良く問われるご時世。しかし、偉そうだが、事務所とは親みたいな存在である。
子どもは親無しにちゃんと不良にならずに育つのは難しいのと同じだと思う。
彼は現在「Emoh Les」とかいうアーティスト名で個人で活動をしている。
YOUTUBEチャンネル
https://www.youtube.com/@emohles
もし良かったら現在の彼も見てやってほしい。応援してやってほしい。
あきらめずに挑戦し続けることこそが、道を開ける。そんな彼に賛辞を贈りたいと思う。
もしTrue Star Grandに質問あれば、オーディション受けたければぜひ。問い合わせはinfo@truestargarnd.com
まで。
平井大さんのデビュー前の記録映像、 シンガー志望者向け。誰しもが通っていく道。
いまや日本でも数々のロングヒットを飛ばすシンガー・ソングライターになった
平井大さんの17歳の頃の写真。
今年はメジャーデビュー10周年を迎え、全国ツアー公演も展開している超大物である。
私たちが行ってきた過去のTRUE STAR WORLD GRAND PRIXの東京大会(2007年)に出場し、
銀メダルをとった。
当時はまだウクレレ一本の演奏者であり、歌を歌うスタイルはまだ確立されていなかったという。
しかし、すでに日本No.1のウクレレ奏者として膨大な数のオリジナル曲をすでに作曲していた。
その時の決勝に選ばれるときの動画が残っている。最後にギリで滑り込んだ感じ。(笑)
しかし、この瞬間が彼のその後の人生を大きく変化させた可能性は高い。
彼はこのオーディション以前ではそれこそ無名であるし、
それほどの大きな自信をまだ持っているわけでもない。なにせ歌ってすらいないのである。
理由は?
当時のプロデューサーがOKを出さなかったらしい(笑)
ちなみに、曲名は「Stand by me」だったという。それくらい、歌うこと自体にはまだ自信が持ててなかったという事。
だが、しかし、しかし、である。
彼は今や超売れっ子であるし、ドラえもん映画の主題歌やCM、スターバックスでも
彼の歌声は聴こえてくる。しかもソロで何万人収容のコンサートをできるのは、小田和正さん
以外は彼くらいという話もある。
いずれにせよ、この一瞬によって、彼は大きな勇気と自信が与えられたに違いない。
「俺、外れるのか??それとも選ばれるのか??…」
誰しもが通り抜けていかないといけない道なんだろう。
下記の動画からもそれはよく伺える。
MC「いまの心境は?」
平井大「残るとは思っていなかったのですごく嬉しいです」
人の人生というのは、分からない。
一瞬が人の運命を変える、その時を経験できることがとても後に大きな財産となる。
彼はそこから大きな自信もえるが、同時に実は悔しさも得ている。
これを受けて、彼は終わった後、控室で泣き崩れていたという。
こういったタイプのオーディションで、2位に終わることで逆にその後伸びていく
人がいることはご存じだろうか?
米国のアメリカズガットタレント、X-Factorなどもそうだし、日本でも
そうだ。強烈なインパクトでYoutube再生回数1億回をすぐに突破した
「British Got Talent」のスーザン・ボイルも最後は2位で終わっている。
しかし、その後の活躍は誰しもが知るところである。
逆に2位にしておいて良かったくらいだ。(笑)
その後、彼は、悔しさをバネに這い上がっていった人である。彼には、
プロデューサーからハワイのウクレレ第一人者ジェイク・シマブクロさんを紹介され、それからホノルル音楽祭のテーマ曲を手掛けることになり、
じわじわと飛躍していくことになる。
その後、数年後にメジャー・デビューをはたし、今年で10周年である。
NHK紅白歌合戦2021年も初出場。そこで歌っていた曲は
「Stand by me, Stand by you」であった。
そのプロデューサーに後に某大手エンタメ会社内でたまたま会った時に
その歌を彼のために歌って披露してあげたという。彼なりの恩返し?見返し?ができたことだろう(笑)
いま最も波にのっているソロ・シンガーの一人である。